大判例

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東京高等裁判所 平成8年(ネ)963号 判決

控訴人(被告)

小林聡

被控訴人(原告)

山田康弘

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の求めた裁判

一  控訴人

1  原判決中、控訴人に対し、五五五二万七〇一八円を超えて金員の支払いを命じた部分を取り消す。

2  前項の部分につき被控訴人の請求を棄却する。

二  被控訴人

控訴棄却

第二事案の概要

事案の概要は、次のとおり付加するほかは、原判決の「第二事案の概要」に記載のとおりである(ただし、原判決七頁四行目「窒息死せしめた」とあるのを「窒息させた」と訂正する)。

(控訴人の当審における主張)

1  損害について

被控訴人は、現在自動車事故対策センター「岡山療護センター」に入所しているところ、その症状は、開口、閉口、開眼には応じるが、自発的発語はなく、関節の拘縮により四肢が麻痺し、日常生活動作すべてに介助を必要とし、自力で生命維持のための動作ができない状態であるから、いわゆる植物人間状態と同程度の状態にあり、同センターからの退所は考えられない。統計によれば、重度の脳損傷者が一〇年を超えて生存する率は一二パーセントないし二三パーセントであり、被控訴人が通常人の平均余命まで生存する可能性が低いことは明らかであるから、入院雑費、オムツ代、付添介護費用の算定に当たつては、通常人の平均余命を基礎にして算定するべきでない。また、岡山療護センターの看護体制は、専門看護婦らによる三交代制完全看護であるが、被控訴人の負担する費用は低廉で、多くとも年一六万七四〇〇円であるから、被控訴人の将来の付添介護費用は、平均余命年数を五六年とし、ライプニツツ係数(五九年の係数から三年の係数を控除したもの)一六・一五二五又は一八・六九八五(五六年のライプニツツ係数)を乗じても、二七〇万三九二九円又は三一三万〇一二九円程度となる。

2  過失相殺について

本件事故現場が下り坂で、本件事故が深夜に発生し、転倒後、被控訴人車両(自動二輪車、以下「被控訴人車両」という。)と被控訴人が別々に滑走していることからすると、被控訴人は制限速度毎時四〇キロをはるかに超過して走行していたと考えられる。また控訴人車両(普通乗用自動車、以下「控訴人車両」という。)が被控訴人車両より先に本件交差点に進入していることは衝突地点、衝突状態から明らかであるが、仮に先に進入していないとしても、控訴人車両のライトにより、控訴人車両の発見は被控訴人にとつて容易であつた。さらに本件事故現場が左カーブにもかかわらず、被控訴人が自車右側を下にして転倒していることは、被控訴人に危険な態勢での運転行為、制動操作のミスがあつたことを推認させるもので、被控訴人には四割を下らない重大な過失があつた。

3  以上の損害についての控訴人主張や、被控訴人の過失割合を考慮すれば、控訴人の支払うべき賠償額は、左記のとおり五五五二万七〇一八円を超えない。

(1) 治療費 六七六万五五二五円

入院雑費 六四二万一六一〇円

オムツ代 二六七万二二三六円

付添費用 三五三七万三九七五円

家族付添費用 四三六万二〇〇〇円

家賃 五九万四八八四円

リハビリ用具代 二七万一七五三円

逸失利益 八九五六万四一五一円

傷害慰藉料 四二〇万円

後遺症慰藉料 二六〇〇万円

交通費 三二九万七七二〇円

(2) 右合計額 一億七九五二万三八五四円

(3) 過失相殺(四割)額 七一八〇万九五四二円

(4) 既払額 五二一八万七二九四円

(5) 差引額 五五五二万七〇一八円

(被控訴人の当審における主張)

1  被控訴人が岡山療護センターに入所していることは事実であるが、同センターはリハビリによる退院、社会復帰を目的とするもので、終身療護を目的とする施設ではなく、退所後は家庭に引取り介護することになる。また被控訴人には意識があり、植物人間状態ではなく、十分な介護があれば、平均余命を全うできることはいうまでもない。

2  控訴人の主張する被控訴人の過失は争う。

第三当裁判所の判断

一  当裁判所も、被控訴人が通常人の平均余命まで生存するものとして、損害額を算定すべきものと認め、また、介護費用については、岡山療護センターの負担金を基礎にして介護費用を算定するのは相当ではないと判断する。さらに本件事故における被控訴人の過失割合は一割とするのが相当であると考える。したがつて、被控訴人に一億六八八二万四九五九円の損害賠償の支払いを命じた原判決は相当である。その理由は、次のとおり付加するほかは、原判決理由中に説示されているとおりである。

1  損害について

証拠(甲四二、乙六、乙七)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。被控訴人は平成七年八月二九日から岡山療護センターに入院している。同センターは終生療護施設ではなく、自動車事故による重度の後遺傷害の残つた患者について、適切な治療と看護を行い、患者の残された機能を発見し、回復訓練を行い、社会復帰もしくは自宅介護ができるようになるよう援助し、患者の長期の入院を極力避けて、早期退院をめざす病院である。被控訴人の父(後見人)や母も回復訓練を目的として被控訴人を入院させ、自宅介護が可能な程度に被控訴人の状態が改善された場合は、退院させ自宅で介護することを予定している。被控訴人の現在の状態は、自発的発語はなく、知能もかなり低下し、関節は拘縮し、四肢はわずかに動く程度で日常生活に役立つ動きはみられず、日常生活動作すべてにおいて介助を必要としているものの、一方、合併症としては白血球の減少程度で余病の併発はなく、開口、閉口、開眼には応じ、冗談を言うと笑い、看護婦のいうことをある部分では理解していると思われ、親族の問いかけに反応し、身体的苦痛を訴え、介護人の付き添いがあれば、車いすでの外出も可能で、外出した際は外の景色や周囲の状況にも関心を示すなどし、入院前より体重が増加し、感情表現が明確になるなど状態は改善している。

以上の事実が認められる。

右事実によれば、被控訴人にはある程度の意識があり、いわゆる植物状態と同程度の状態にあるとは必ずしもいえないから、植物状態の患者の一〇年を超える生存率が低いとしても、被控訴人も通常人と同じ平均余命まで生存する可能性が低いとはいえないものである。したがつて、通常人の平均余命を基礎にして被控訴人の付添介護料を算定すべきでないとする控訴人の主張は理由がない。また、岡山療護センターが前記のような性格の施設で、被控訴人の父母も被控訴人の回復訓練を目的として入院させているのであるから、同センターからの退院が考えられず、同センターにおける介護が終生続くことを前提に付添介護料を算定すべきであるという控訴人の主張も認められない(入院雑費についても、仮に自宅療養になつたとしても、入院している場合と同程度の雑費を要するものと認められる。)。

2  過失相殺について

控訴人は、被控訴人が制限速度をはるかに超過して走行していたこと、控訴人車両が被控訴人車両より先に本件事故現場交差点に進入していること、仮に先入していないとしても、被控訴人にとつて控訴人車両の発見は容易であつたこと、被控訴人には危険な態勢での運転行為、制動操作ミスがあつたと主張する。しかし、被控訴人が制限速度をはるかに超える速度で走行していたとの点については、捜査段階における控訴人の供述調書(甲三六の四三、三六の四五)及び乙五の一以外に右主張に沿うものがないところ、これらの証拠は、甲三六の二、三六の二〇、三六の二六から二九までに照らして採用できず、かえつて本件事故の目撃者岩本加奈子の供述調書(甲三六の二八)や、双方の車両の変形破損状態からはさほど高速度でなかつたとみられ(甲三六の二〇)、被控訴人車両が制限速度をはるかに超える高速度で走行していたことを認めることはできない。また、控訴人は、被控訴人車両が控訴人車両の側面に衝突しているから、控訴人が交差点に先入していたと主張するが、証拠(甲三六の八)によれば、控訴人車両の主たる破損個所は前部ドア下部、前タイヤ付近で、衝突部位は控訴人車両の前部側面とみられるので、側面に衝突しているから控訴人車両が先入したということはできない。被控訴人車両の転倒も、控訴人車両が右側安全不確認のまま優先道路に進入してきたため(甲三六の四三)、被控訴人は衝突を回避するため急制動をせざるをえなかつたためと認められるから、被控訴人の制動操作ミスということもできない。以上の点についての控訴人の主張は採用できない。ところで、原判決挙示の証拠によれば、被控訴人には、原判決の認定するように、時速八〇ないし九〇キロメートルの高速度を出していたとまでは認められないが、制限速度の時速四〇キロメートルを超える速度で、本件の左右の見通しの悪い交差点に進入しようとした過失が認められ、一方、控訴人には、衝突前の前記安全確認不十分の過失のほか、衝突後も直ちに停止せず、被控訴人を車両の下に巻込んだまま五メートルも引きずつてようやく停止し、停止後もジヤツキで車体を上げる前に被控訴人の足をつかんで引つ張るなど適切な救出行為をしなかつた過失により、被控訴人に窒息による脳障害を発生させたものであることが認められる。これらの点を考慮すると、損害額の認定において斟酌すべき被控訴人の過失割合は原判決認定のとおり一割とするのが相当である。

二  よつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 今井功 淺生重機 小林登美子)

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